2008年2月22日金曜日

最新中国裁判事情-進化する中国の裁判-

1.はじめに
  平成19年9月下旬、名古屋大学と学術協定を締結している南京大学で講演をする機会を得た。その際、南京市の区人民裁判所(日本の地方裁判所に相当する)の裁判を傍聴し、傍聴後、数名の裁判官と懇談することができた。そこで見た中国の裁判の実状は、私の想像をはるかに超えたものであった。
  中国は、法治主義ではなく、人治主義の国だと言われている。中国の裁判は賄賂が横行し、判決も金次第であると言われてきた。実は、昨年の8月にも、上海市の人民高級裁判所(日本の高等裁判所に相当する)の裁判を傍聴し、部総括判事や陪席判事と懇談し、中国が法治主義の実現に向けて裁判改革を進めていることを知った。とりわけ、裁判官の姿勢は真摯で、近い将来、中国の裁判が賄賂と無縁になるのではないかと期待を持つことができた。しかし、それは、上海という大都会の、しかも高級裁判所の裁判を担当するエリート裁判官の意識の変化にすぎないのではないか、地方の裁判所では、まだまだ実利と情が支配しているのではないかと思っていた。
2.長々としゃべり続ける弁護士
 それは、保険金請求事件の第一審の第一回口頭弁論であった。事案は、交通事故で加害者となった原告が、被告の損害保険会社に保険金の支払いを請求するものであった。争点は、保険契約の成否であった。保険料が保険会社に支払われておらず、保険契約が成立していないと被告保険会社は主張している。これに対し原告の主張は、被告保険会社の社員に保険料を払った(しかし、領収書はない)、保険会社の社員(その後、失踪して、現在行方不明)が保険料を横領したというものであった。
この立証が難しいと思われる事件で、原告代理人の弁護士は、延々と自分の主張を法廷で話し続けた。途中、裁判官が疑問点を原告に問い直したり、被告に釈明を求めたりしたが、結局、この事件の弁論だけで、午後3時から午後5時まで、実に2時間もかかったのである。
  弁論の時間が日本の裁判の数分という、テキパキした(?)日本の裁判に慣れた私にとって、目からウロコの体験であった。こんなダラダラとした裁判をして、なんて考える人もいるかもしれない。しかし、この裁判を初めて傍聴する我々にも裁判の内容と争点がたちどころに理解できる程、分かりやすい法廷であった。つまり、中国の裁判は、口頭主義、直接主義が徹底されているのだ。主要な証拠は、訴状や答弁書と共に事前に提出され、第一回口頭弁論期日には、丁々発止と口頭での弁論が繰り広げられるのである。劇を見ているような臨場感があった。書面主義に馴れた私には、実に刺激的であった。しかも、弁護士の熱意、能力、準備状況(よく準備しているか、準備不足か)などが傍聴人でも手に取るように分かる。弁護士にとっても、この直接主義・口頭主義は、ごまかしの効かない、やっかい(依頼者としては有難い)なものなのだ。
  口頭弁論主義の形骸化が叫ばれて久しい日本の裁判でも、中国の、この直接主義・口頭主義は、大いに参考にすべきであろう。代理人の口頭での応酬によって法廷は生き生きと活性化し、意欲と能力のある弁護士が評価される。ワクワクするような刺激ではないか。
3.3ヶ月で終了する裁判
  中国では、裁判の審理期間が法定されている。一審では、原則として3ヶ月以内に判決をすることが求められる。いきおい、弁論一回、証拠調一回で結審が原則となる。だからこそ、全ての証拠は事前に提出され、第一回口頭弁論で激しい応酬がなされる。2時間もの間、口頭でやりとりがされれば、争点の大体の見当はついてくる。証人尋問をしなくても、結論が見えてくる。
 ラフジャスティスかもしれない。しかし、多数の事件を短期間で処理する為には、ありうるやり方だろう。日本でも、弁論を3分ではなく、30分もすれば、大半の事件では結論が見えてくるだろう。日本の民事裁判も、ある意味では精密司法だということを実感した。長らく慣れ親しんだやり方に固執するのも悪くはないが、新しい発想でチャレンジすることも、時には大切だ。たとえば日本でも、弁論期日を原則3回以内としても、第1回口頭弁論期日までに相当の時間をとれば、殆どの事件では支障はないのではないだろうか。
 実は、日本の裁判でも、労働審判では、集中的に審理され(原則3回以内)、しかも、法廷で代理人が口頭で応酬するというやり方を取っている。今後の裁判のあり方を示しているように感じている。
4.いきいきとした裁判官









(中央が、区裁判所副所長。37歳!) 
  法廷傍聴の後、裁判官たちと会議室で1時間半ほど意見交換した後、近くのレストランで会食をした。レストランといっても、日本の裁判所の地下にある食堂のような中途半端なものではない。文字通り、高級レストランだ。裁判官と一緒に、ビールや白酒で乾杯し、両国の裁判談義に花が咲き、我々も大いにメートルが上がった。
  中国の裁判官は、寡黙どころか、朗らかでおしゃべりがとても上手だった。
  「社交的な」裁判官は、日本では珍しいし、裁判官の清廉性を重んじる日本ではなかなか受け入れられないかもしれない。しかし、法曹関係者と食事をしながら裁判の改善について活発に議論するのも悪くない。もっとフランクに語り合える裁判官が増えるのもよいことではないか。
  ちなみに、裁判官との会食費用は、我々は払っていない。中国の裁判所に接待(?)して頂いたように思う。これも日本では考えられない、新鮮な驚きであった。